少し無茶な話かも知れませんが、僕はパソコンを使う日本人全員がブラインドタッチャー(キーボードを見ずに文字入力できる人)になればいいなと思っています。
このページは、そういう大目標を掲げるためのページです。
全日本人ブラインドタッチャー化宣言
をここに行いたいと思います。
全日BT化宣言というところですかね。
(「ブラインドタッチ」という言葉が差別的という話もありますが、「全日本人」が目的なので一番良く通っている言葉を最優先で使います。)
こういう事を言うと、「そんな無茶な」という声がけっこう聞こえてくるわけです。
いわく。
とかの反論ですね。反論というか「拒否」「拒絶」ですかね。
でも、上記のような意見を言う人って、ほとんど間違いなく、ブラインドタッチのできない人の意見でして、たいていは「本当の正しいブラインドタッチ習得方法」を知らないが故の
完全な誤解
なんですよ。つまり、ブラインドタッチのことを全く知らない人が、誤解で「ウソ」を吹聴してるわけです。
なので、僕は、正しく反論にお答えしたいわけです。みんな勘違いしてるよ、と。もうね、みんな勘違いしまくりなんですけど、その中でもあまりに多い勘違いが、「ブラインドタッチは習得に時間がかかる」という勘違いなんですね。実際には、
●ブラインドタッチ習得は、ものすごく簡単。
なんです。それも習得するのに、数ヶ月とか数週間とか、そういう単位ですらなくて、習得には、2〜3時間しかかからないという簡単さなんですよ。
(「そんなことはない! 俺は何年経ってもブラインドタッチが身に付かないぞ!」とおっしゃる方がいてるのも、私は充分理解した上で言ってます。それは「覚え方」が悪くて悪い癖がついてしまっただけなんです。「手間のかかる悪い癖」が染みついてしまったので、それを取り去るのがものすごく手間で、「とても簡単なブラインドタッチ」が身に付かなくなっているのです。そして、その悪い癖を取る方法もちゃんとあります。それはまた別のところに書きます。ただ、「技能を習得する」ことと「悪癖を取る」ことは別問題なのだ、ということは理解してください。)
小学校の算数で「九九」を習いましたよね? あれも多分小学校で一ヶ月かそのくらいかけて覚えたはずですけど、ブラインドタッチはそんな手間さえかからないわけです。だって2〜3時間ですから。あの、九九を覚えずして算数をやるって大変だとは思いませんか? 九九が絶対に必要とは言いません。あくまで「方便」ですから。人によっては九九じゃわかりにくいと言う人もいてるでしょうし。でも、多くの人には「覚えてしまえば便利なノウハウ」なわけです。で、あの九九の便利さより、もっともっと便利なのがブラインドタッチです。だって「文章を書く」能力ですから。twitterやFaceBookが出てきた現在、ものすごく有用です。その「九九より利便性が高い」ブラインドタッチが、「九九より短時間で覚えられる」わけですよ?
こんなもの、覚えない方がどうかしてる。
そして、「そんなもの要らない」「不要だ」と言ってる人のほとんどが、実際にはブラインドタッチの出来ない人で、その利便性を知らない人なわけです。こんな理不尽な話はないですよね。
英語でTOEIC900点台を目指すと、毎日3時間くらいで3年かかるそうです。ブラインドタッチは正しく学べばたった半日です。
それでいて、英語はTOEIC900点台でも英語で仕事をする入り口にしかすぎません。でもブラインドタッチは半日で完全に実用になります。パソコンで文章を打つ必要がある仕事なら、すべてに関係してくる技能なわけですから。
実用性はものすごく高い。
これだけ幅広く使える技能を「専門家のための技術だから、別に学ばなくてもいいよ。」と考えること自体が、かなりおかしいと僕は感じるわけです。
でも、そういう誤解が、ごくごく常識のように語られているのが現実でして、もう、そういう根本的な認識の違いから修正しないと、この不幸な現実は変わらないよなって思うんですね。
まったくのパソコン初心者で、キーボードなど触ったこともないというような人のほとんどが、たった2〜3時間の練習(一日30分で1週間程度)で覚えられる技能。それがブラインドタッチです。ここまで簡単で実用的な技能を、僕は他に知りません。ここまで簡単な技能を、「特殊技能だから不要だ」と拒絶するというのは、どう考えて非合理ですし、そういう簡単な技能を「不要だ」と思いこんでいるというのは、日本人にとって、ほんとうに大きな損失だなぁ、と僕は思うのです。
いま、「日本人にとって」という書き方をしましたが、僕が「日本人全員がブラインドタッチを覚えるべきだ」と考えている、もうひとつの大きな理由が、「私たちは日本人である」というところにあるんです。
ここが大切なところですが、
●ブラインドタッチは「漢字」を使う日本人にこそ必要不可欠
ということなんですね。
なぜ「日本人にこそ、ブラインドタッチが必要」なんでしょうか?
それは日本語には、漢字変換が必要だ、からです。
日本語を扱う限り、同音異義語を「音」で呼び出して、いくつもある漢字を画面で選択する必要があるのです。この作業は文章を書く限り、必ず必要です。しかも、ひとつの文章を完成させる途中に、この選択作業は入りますから、「後から作業をまとめて行って効率化する」という事も出来ません。文章を作成している最中に漢字の選択を「画面上で」行う必要があるのです。ですから、文章を書いている時には、もともとキーボードを見ること自体が矛盾した作業になるのです。キーボードを見ながら「音」を入力していけば行くほどに、選択するべき単語の数は増えていきます。キーボードの見ながら打ちでは、まともに文章を書くこと自体が困難になってしまうのです。
ちなみに、欧米人は漢字の存在がないので、キーボードだけを見ながら文章を打っても、PC画面には思った通りの文章が出来ています。だから欧米人にはブラインドタッチは不要なんです。PCは欧米生まれですが、日本人が活用するためには、日本人独特の「スタイル」が必要であり、漢字かなまじり文を使っている限り「ブラインドタッチは必須」と考える方がPC活用の実態に即していると言うしかないのです。
同音異義語が数多くある、というのは、「日本語特有の避けられない構造問題」でありまして、この構造を変える事はできないのです。であるなら、とにかく「九九より簡単で、すぐに身に付くノウハウ」でしかないブラインドタッチを覚えてしまう方が、絶対にお得です。圧倒的に得。比較検討の必要なしです。断言します。それに加えて、僕が全日本人ブラインドタッチ化計画で、もっとも重要だと思っている点が、
●ブラインドタッチは発想を広げるためにこそ、必要不可欠。
という事なんですね。
発想するとか、考える、ということがどういうことかというと、人間は、もともと物事を考える時、一般的に「言葉」で思考を積み重ねるのです。(ビジュアルで考える人もいてるでしょうが、かなりの少数だと思います。) だから言葉を紡ぐことが考えることそのものだと言っても良い訳です。 でも、その「言葉」を使うことが、「不快」になってしまうのが「キーボードの見ながら打ち」なんですね。
自分が思いついた事をテキストデータにすること自体に画面とキーボードを繰り返して見返す作業が挟み込まれるので、そんな事をしている間に「何を思いついたのか」を忘れかねませんし、何より思いついた「考え(言葉・文章)」を、ずっと頭の中に保持しておかなければならないのです。
ブラインドタッチができれば、一切キーボードを見ず、見ているのはパソコンのディスプレイ「のみ」ですから、思いついた事(言葉・文)が、自動的に画面に現れてくるようなものなのです。自分の思いつきをとりあえずテキスト化して眺めるという事ができるので、発想をため込み、考えを眺め、自分の思いこみを客観的に批判しつつ、発想を深めることが気楽にできるようになるのです。
この十数年のパソコンにまつわる日本の状況を見ていると、なんだかおかしいなぁと思うことがかなり多いのです。それは多分、本来、仕事を効率化して、人間の発想や実現力を高めるのに役立つ道具であるはずのパソコンが、「嫌々使わねばならない社会的強制装置」に成り下がってしまっているからではないか?と思えてならないのです。家電などでは日本の企業が世界を席巻しましたが、日本発のネット企業が世界に出ていったという話を聞かないのも、極端な話、ブラインドタッチへの不理解が原因と言ってもかまわないでしょう。
パソコンは、嫌々使っていたらこれほど非人間的な道具もないと思いますが、積極的に上手に活用すれば、これほど強力な道具もなかなかないだろうと思います。その差が極端になりがちなんですね。だから、パソコンを「使わねばならないもの」ではなくて「使うと便利なもの」にするためにブラインドタッチを、もっともっと普及させるべきだと僕は思います。インターネットが「悪の巣窟」のように言われるのも、ブラインドタッチを知らない・難しいと思いこんでいる人の偏見が、その根っこにあると思えてなりません。パソコンを「強制装置」と感じていれば、それはどうしてもそうなると思うのです。そしてその「強制感」は、自分の思いを言葉にするのすら苦痛になる、「キーボードの見ながら打ち」にこそ、根本的な理由があると、僕は思っているのです。
パソコンの入力というと、すぐに手書き入力と音声入力が「一般人には有用」と言われますが、それも大きな勘違いのひとつだと思います。音声入力より手書き入力よりローマ字ブラインドタッチがはっきり明確に、簡単で実用的です。
曰く(いわく)と日(にち・ひ)、一(いち)とー(長音記号・音引き)を誤認識したら、パソコンの検索能力がまったく無意味になりますし、音声入力はオフィスで使うにはうるさすぎるのです。どちらもいまだに実用になっていないのは、実用上、大きな無理があるからなのです。そんな実用的でない手法にこだわっているヒマがあるなら2〜3時間で習得できて九九より簡単なブラインドタッチを身につける方が、圧倒的に実用的です。ブラインドタッチ以外の選択肢を選ぼうという発想自体が、すでに「タイピングは難しそうだ」という先入観と偏見の代物なのだと、まず気付いてください。
その先入観の向こう側に、「誰でも手軽に簡単にパソコンを使える世界」はあります。そしてそれは、かなり大きな可能性を持っていると僕は思います。
少なくとも「使わされ感」や「強制感」とは無縁になると、僕は思います。つまり、我々日本人が、これからの時代を快適に生きるにはブラインドタッチを身につける以外に選択肢はないということだと言ってもかまわないと思います。
ほんとうは、小学校の低学年で日本人全員がブラインドタッチを身につけてしまうのが一番なんだと僕は思います。(漢字の書き取りテストもちゃんとやらないとダメですよ。パソコンは手書きの置き換えにはならないのです。)そうしないと漢字変換の必要のない欧米の文化と張り合って成長していくことは困難なのではないか? とすら僕は思います。
ともあれ、そんなこんなの、「全日本人ブラインドタッチ化宣言」なのです。とくにブラインドタッチは「難しいから必要ない」とあまりに思われすぎていて、「簡単だし、漢字変換が必要な日本人には必須の技能」という視点が社会的にまったく欠けてしまっているという状況には、とにかく強く強く「ノー!」と叫びたいわけです。
また、「難しいから・専門技術だから必要ない」という風潮によって、大きな可能性を失ってしまっている若い人や、本当のブラインドタッチャーに出会って、その体験的意見と世間の風潮のギャップに悩んでいるような人に、正確な現実を知ってもらいたい、と言うこともあります。
繰り返しになりますが、「難しいから・専門技術だからブラインドタッチは必要ない」というのは、無知による偏見であって、現実は「九九より簡単に習得できる、漢字変換が必要な日本人には必須の技能」がブラインドタッチなのです。それは単なる現実なのであって、その現実を知らない人によって「難しい専門技術」というラベリングがされているだけなのだ、という事を改めて提示しておきたいと思います。
(2013.2.10)